シミのように同化してしまった過去の記憶を、まるで今日の夢でも見るように自在に再生してくれる彼は、とてもビデオ的な人なのだ。
ともかく彼の作品のは ‘時間‘を扱ったものが多い。リンゴが腐るプロセスを一年間記録した「タイム」という作品も、そのひとつである。
この腐るプロセスの記録は、腐る側から見た生成のプロセスである。そこが単なる物理的‘変身‘の記録とこの作品を区別しているところなのだ。普通私たちは、腐るという酸化のプロセスを‘生‘を蝕むネガティブな現象として見做している。
しかし、萩原さんの中では、分解を通して均質化を辿るこのエントロピーの世界が、個有化を通して‘生‘を全うしようとする生命力と同じ強度で引き合っている。
萩原さんがこの頃、茶色(土の色、腐る色)ずくめから、濃紺(海の色、生成の色)へと色の好みを拡げてくれたので、私は何となくホッとしている。
『日本の個人映画作家3』 映像文化罪保護委員会 1976年