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寺山修司

萩原朔美は、かつて「天井桟敷」の演出部に籍をおき、「時代はサーカスの象にのって」や「伯爵令嬢子鷹狩掬子の七つの大罪」などの演出をし、
また「毛皮のマリー」や「青森県のせむし男」に俳優として出演した。
第一次ヨーロッパ遠征のドイツ国際実験演劇祭(エクスペリメンタ3)にも天井桟敷の演出家として参加した。在籍中に16ミリ映画「少年探偵団」を作ったりしたこともある。

一口でいえば、萩原の世界はきわめて迷宮的で、閉じられていた。
私ははじめ彼のために「毛皮のマリー」の少年役を書いたが、その少年は20歳をすぎても半ズボンをはき、男娼の「母親」に軟禁され、四畳半の
アフリカ大草原の幻想の中で昆虫採集にばかり熱中する偏執狂であった。
その後、彼の演出のために「時代はサーカスの象にのって」と言う政治的な劇を書いたが、彼は日米安保条約から学生の共闘活動までもすべて、
彼の内部の地下室に閉じ込めてしまった。(略)

それだけに、内部を突き抜いて、「イメージ」を殺してしまい、事物の視線の組織化をめざした今回のフィルムには、虚無的な匂いが漂っている。
興味深いことは、それらの虚無が、きわめて「イデアルな虚無」だということである。

私は、こうした萩原の新しい方法論意識に、一つの可能性をみると共に、何者かの不在によって充たされている<負の世界>が、どのような幻想性によって輪郭どられているかに興味をもっている。
それはしたたかな才能によって裏付けられているからである。

『アンダーグラウンドシネマテーク』