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三浦雅士

誰でも、萩原朔美の作品行為については、簡単に次のことに気づくだろう。つまり、彼の多くの映像や、グラフィック作品や、シルクスクリーンの作品とかは、無限に続く現象とか、
無限に続くことのできる行為の一部分を、ひょいととりあげて呈示するというようなことなのだ。それで、それこそが、おそらくほかの誰にもない素晴らしい彼の魅力なのだ。

鑑賞者は誰でも、そうしてみればまったくそうだったけど、どうしていままできがつかなかったのだろう、やはり朔美というのは凄い奴だな、とか思うことになる。

これは、彼のエッセイにおいてもいえるかもしれないけれど、少し証明は難しい。

いずれにしても、このかすかに違ってゆきながら無限に続く行為というのは、なにを隠そう、眠いということなのであって、じつは、この眠いということの背後に、あの恐ろしいほどのなつかしさがうずまいているのだ。

『日本の個人映画作家3』 映像文化罪保護委員会 1976年