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船曳建夫

萩原朔美さんにとっての家は、逆のあり方を示している。母の夜学と仕事によって、家から閉め出されたり、母の方が別のアパート(離れ)で暮らしたりして、中学の頃からプレハブに一人住まいだったという。

この辺の事情についてはご本人が書いてらっしゃるので、短絡的な分析はさける。ただ、のちに寺山修司さんと出会うことは必然だったな、とだけはつぶやいておく。

『親子の作法』 ベネッセコーポレーション 1998年4月