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森茉莉

「それならいいよ」

萩原朔美が天井桟敷という劇団に、役者として加わるようになったころから、少しずつ、私と話をするようになり、冗談さえ言うようになったのは大きな変化である。

大人たちと口を利くことがなかった時期を過ぎた彼は、今度は青年の一時期にある、大人の愚かな点を揶揄う時期にさしかかった。

七、八歳から二度の、所謂<生意気>の時期である。今の彼は母親の萩原葉子や私を揶揄い気味な目で見るようになった。

私が或る日、北海道の新聞に「ロン」(私の論議は素人であるから、謙遜の徳を発揮して、「ロン」と言っておくのである)を書いている旨を言うと、彼の美貌の上に、薄い、揶揄い笑が浮かんだので、子供婆さんの私はむきになって、その「ロン」の中の一つを披露した。

有りがたいことに、
「それならいいよ」
と、彼は言ったのである。

『私の美男子』 筑摩書房刊 1995年4月